1月7日に七草粥を食べる意味は何か、その由来について

1月7日が近づき七草がゆが話題

毎年1月7日といえば、七草がゆを食べる習慣がおなじみです。

この七草がゆ、春の七草を入れたおかゆを食べるという習慣ですが、正直、こうした習慣がある理由もよくわからないという人も多いかもしれません。

そして、七草ってなんだっけ、みたいに思って、三つか四つしか思い出せないとかいうこともありがちです。

今回は、1月7日に七草がゆを食べる習慣の意味について調べてみました。

七草がゆの概要

七日粥,七種の節句,七草の祝とも呼ばれる慣習です。

七草がゆが具体的にどういう料理かというと、

・せり(セリ)

・なずな(ナズナ)

・ごぎょう(ハハコグサ)

・はこべら(ハコベ)

・ほとけのざ(コオニタビラコ)

・すずな(スズナ、カブ)

・すずしろ(ダイコン)

という、一般にいう春の七草を塩味の粥に入れて食べるものです。

七草がゆの由来

もともと古代中国で正月に早春の野草を摘み、羹(あつもの、吸い物)にして食べることで病気や災厄を避けるという習慣があり、それが日本に伝わったことが端緒とのこと。

1月7日は人日の節句といい、この日に食べるのが習わしです。デジタル大辞泉によると『「人日」とは五節句の1番目の節句で、陰暦1月7日のことをいいます。』であり、季節の変わり目を表し、そのような一年の区切りに合わせてこうした行事食を食べていたようです。

日本で最初に七草がゆの原型と思われる習慣が見られたのは、『皇太神宮儀式帳』という西暦804年に書かれた書物とのことです。ここでは「羹」として表現されています。

また、鴨長明が『四季物語』という著作の中で具体的に七草がゆを構成する植物名に触れており、「なずな,おぎょう,すゞしろ,仏のざ,川な,くゝだちとかや申すなるべし」と書いているそうです。

しかし、ここまで言及されてきた七草がゆは現在のものと異なり、あくまで羹(あつもの)です。なぜこれが粥へと変形されていったのかという疑問が残ります。

実は、こうした七草の羹とは違う習慣として、七種粥(米・粟・黍・稗子・みのみ・胡麻子・小豆の七種類の穀物で作った粥)という正月の15日に食べる料理の習慣があったようです。

これらがいつしか混同され、現在の七草がゆができていったのではないかと推察されます。そうした形で七草粥が成立していったのは、室町時代ごろと推察されているようです。

七草がゆを食べる意味

1422年に書かれた『公事根源』という本によると、「正月七日に七種の菜羹を食すれば其人万病なし叉邪気をのそく術に侍るとみえたり」とのことで、やはり病や呪い、不幸などを退ける験担ぎ的な意味合いを持つ料理だったようです。

やはり、現代においても新鮮な春の野草を用いたシンプルなおかゆで体をいたわり、一年の健康を祈るという意味合いがありますので、そうした位置付けの料理として伝統的に引き継がれていると言ってよいでしょう。

 

いかがでしたでしょうか。何気ない習慣にも、長い歴史と古代の人たちの家族の健康と幸福への願いが込められていることがわかりましたね。

これをきっかけに、是非、大切な人たちと一緒に七草がゆをお召し上がりになって、一年のスタートを切ってみてはいかがでしょうか。

(参考:同志社女子大学生活科学44巻 (2010)季節を祝う食べ物 : (2) 新年を祝う七草粥の変遷 森田潤司著)

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